『「北斗」-ある殺人者の回心』がWOWOWドラマで映像化されるので、原作を読みどんなところに注目とドラマをより面白うみることができるのかをできるだけネタバレなしで紹介していきます。

 

 

追記:ドラマの予告でネタバレ

北斗WOWOWドラマあらすじ

 

「僕を、死刑にしてください」―2016年3月、殺人犯として勾留されている20歳の端爪北斗(中山優馬)は、
国選弁護人の高井聡一(松尾スズキ)にそう言い放つ。

 

「僕は、生まれてはいけなかった」―北斗は誰かに抱き締められた記憶がなかった。
実の両親(村上淳・中村優子)から激しい虐待を受け、愛に飢えた少年時代を過ごした北斗はやがて養護施設に入ることに。
そこで里親となる近藤綾子(宮本信子)に出会い、初めて“愛”というものを知る。
幸せを少しずつ感じることで心の闇から解放され、生まれ変わっていく北斗。
しかし、運命のいたずらはまだ彼を解放してはくれなかった。

 

孤独な青年はなぜ殺人犯になったのか。

 

数奇な運命に翻弄され、残酷な日々を過ごしてきた彼に下る「審判」とは――。

 

端爪北斗の“命を懸けた”裁判が今始まる――。

 

WOWOW公式サイトより引用

 

http://www.wowow.co.jp/dramaw/hokuto/intro/

 

 

あらすじから僕が重要なキーワードを拾うとすると

 

 

 

虐待、養護施設、里親、初めて“愛”、孤独な青年、殺人犯、裁判、死刑となります。

 

 

 

 

このキーワードから虐待され愛を知らずに育った少年が里親から初めて愛を与えられ新しい人生が始まるはずだったのに、なぜ彼が殺人犯になり、なぜ命をかけて裁判に望むのか?というストーリーをなんとなく想像することができます。

 

 

 

実は引用したWOWOW版のあらすじと、原作の小説裏表紙にかかれているあらすじではある重要な部分が異なります。

 

 

 

小説のあらすじでには、なぜ北斗が殺人犯になってしまうのかは書かれていないものの、そのきっかけとなる書かれています。

 

 

”孤独な青年”というキーワードでもわかると思いますので、これだけはネタバレになってしまいますが書きます。

 

 

北斗を実の子供のように愛してくれた”里親の死”をきっかけに彼はまた孤独になってしまいます。

 

 

孤独になってしまった北斗がなぜ殺人を犯したのか、そしてなぜ彼は死刑を望むのか?裁判を通して何が起こり、それがどのように判決に影響するのか?がこの小説(ドラマもかも)の見どころなので、当然メインは裁判のシーンとなります。

 

 

とはいえ、裁判となれば被告人の生い立ちなども事件と関係があるのか考慮されるので、北斗が受けてきた虐待や里親との関係など、苛烈な日々を過ごしてきた北斗の人生が大きく関わるだけに、裁判以外のシーンにも多く時間がドラマでは割かれると予想できます。

 

 

では、この裁判において注目すべき点はどこでしょうか?もう一度あらためて冒頭に引用したWowow版のあらすじを読んでみてください。

 

 

WOWOW版のあらすじを読むとちょっとおかしいな???と思いませんか。

 

 

あらすじの最後は“命を懸けた”裁判と書かれていますが、冒頭は「僕を、死刑にしてください」から始まっています。

 

 

死刑を望む殺人犯がなぜ命をかけた裁判にかけられるのでしょうか?

 

 

命をかけて無罪を勝ち取るという単純な話でもありませんし、この小説は北斗という主人公が「死刑を望む」ふりをして無罪を勝ち取る姑息な話でもありませんし、死刑になってでも何かを成し遂げたい・主張したいという意味での”命がけ”でもないと僕は思いっています。

 

 

北斗にとって命をかけるとは一体どんな意味を持っているのか?これがこの小説(ドラマ)の最大のポイントです。

 

 

北斗は死刑を望んでます。

 

 

なぜ彼は死刑を望むのか?それは単純に殺人という罪を犯してしまったからだけではないんですが、その大きな理由となるのが北斗が”虐待”を受けて育った青年だから。

 

 

 

親の愛情を受けて育った子供とは決定的に大きな違いが被虐待者にはあるそうです。

 

 

それは愛情を注いで親に育てられた人にはなかなか理解できない”感覚”だと思われます。

 

 

被虐待者が持っているのは”消えたい”という感覚です。

 

 

死にたいではなく、消えたいです。

 

 

タイトルの”回心”に注目

 

 

原作もドラマのタイトルも全く同じ『「北斗」-ある殺人者の回心』です。

 

 

回心という言葉に僕は原作を読む前から注目していました。

 

 

ただの殺人者が猟奇的な犯罪を犯してしまっただけの物語であるはずはないので、きっとなんらからの葛藤が主人公に芽生え、その心境の変化を綴った物語なんだろうと予想していたので、なぜ「改心」ではなく「回心」なんだろうと思ったんです。

 

 

回心という言葉を辞書で調べると、

 

 

 

回心は「不信の態度を改めて信仰者としてその生活に入ること」と書かれており、宗教的なニュアンスを強く感じる言葉です。

 

 

ネットでも意味を調べてみると、あくまでも前提としてキリスト教ではこのように考えますという視点においてですが、意味を掲載しているサイトによれば

 

 

回心とは、内面的な悔い改めを表す言葉であり、苦痛が伴うものであるそうです。

 

 

回心は人間の力だけで達成できないという考えもあるそうで、この考え方は他力本願の他力のように自分独りでいきているのではなく、神や仏のような大きな力によって人間は生かされているという教えだと僕は解釈しているのですが

 

 

わかりやすく言えば、人間は独りでは生きていけないということです。

 

 

僕たちが最初に得る他力は親から得られる愛情によってもたらされ、身近に信頼できる自分以外の人がいることによって社会の中に自分は存在しているという実存(存在)の土台が作られます。

 

 

社会を通じて外の世界を知り、その常識や通年などを知ることによって初めて僕たちはその社会でどう生きるべきかを考えることができます。

 

 

しかし、虐待を受けた子供(被虐待者)はその土台をつくることができません。

 

 

土台を作れない被虐待者はどのようなことを感じるのか?については、「消えたい」 著者高橋和巳 筑摩書房 という本に詳しく書かれています。。

 

 

「消えたい」という本は被虐待者が回復過程においてどのようなことを感じるのか、人生をどのように過ごしきたのかについて書かれた本ですが、この本にさきほど紹介した”消えたい”という感覚を被虐待が持っていることが書かれています。

 

 

この本に書かれている被虐待者と小説における北斗は必ずしもすべての状況・心情が一致するわけではありません。

 

 

「消えたい」にかかれている被虐待者が実行しようとする自殺の例は(僕たちにとっては自殺という言葉しか当てはめることができないので自殺というしかないのですが)、僕達が思い浮かべるそれとはまったくことなります。

 

 

目の前にきらきらしたものがみえて、ふわふわと漂っているからふと手を伸ばして一歩踏み出したら、そこは橋の上だったり、駅のホームだったりするそうです。

 

 

覚悟を決めてビルから飛び降りるとかじゃなくて、幻覚のような”何か”に導かれてふらっと足を踏み出したら死ぬ寸前だったということのようです。

 

 

 

「消えたい」における被虐待者の感覚と小説に描かれる北斗に共通していることがあります。

 

 

 

「消えたい」に書かれている被虐待者がを観察していて著者が感じた、幸せは3つ条件があります。

 

 

  1. 食事が美味しいと感じる
  2. ぐっすり眠れる
  3. 誰かと気持ちが通じ合う

 

 

このように感じることができるようになった被虐待者は回復過程にあると著者は感じていたそうです。

 

 

この3つを感じることができた時に被虐待者は自分は幸せだと感じるそうです。

 

 

この感覚は普通に生きている人からしたら当たり前に持っている感覚ですよね。

 

 

しかし、小説には何度も北斗が食事の味がしない、眠れないが無理やり目をつぶって睡眠を取ったという表現・描写がでてきます。

 

 

最大の共通点は誰かと気持ちが通じ合う経験をしたことがないこと。

 

 

北斗は父親からも母親からも暴力を受けて中学生まで過ごすことになるのですが、親からは家庭内における教育方針(暴力による支配を親は指導と呼び、北斗を教育していると彼には何度も伝えています)を決して世間の人に話してはいけないと教えられて育ちます。

 

 

両親は虐待が世間にバレるのを恐れているだけなんですが、北斗には自分たち以外の人間は非常に残虐で世間は怖いものだと教育されていますし、自分が何よりも恐れる父親が怯える世間とはものすごく怖い世界なんだと思いこんでしまいます。

 

 

その結果、北斗は家庭外では存在を消し、誰とも話さず友人も独りもおらず小中学校でのあだ名は「幽霊」です。

 

 

親、学校、家庭外の誰とも北斗は気持ちが通じ合うという体験をすることが全くありません。

 

 

北斗は誰ともつながっていない、自分ひとりの世界に存在しているので、社会的な土台がありません。

 

 

僕たちは何らかの役割を社会を通じて得ます。

 

 

仕事についていれば求められる役割がありますし、家族や友人や恋人がいればそれぞれに求めれる役割があります。

 

 

こうした社会的な存在という土台があって初めて人間は「何をするべきか」を考えることができます。

 

 

北斗は自分をこの社会において「価値のない人間」であると考えています。

 

 

 

北斗にとっての人生とは義務に従うことです。

 

 

 

幼少期は父や母の逆鱗に触れず暴力を回避するためだけに父親や母親のの命令を忠実に守る日々を過ごしているので、1日1日を生き延びることしか考えておらず、自分が将来何をするべきなのか、何がしたいのかなど未来のことを考える余裕も機会もまったくありません。

 

 

やっと自分に愛情を注いでくれる里親と出会うことで初めて人の気持が通じ合うという体験を得ますが、人生のすべてを「父親や母親のの命令を中実に守る」という義務によって動かされてきた北斗は急に自分の行動を変えることはできません。

 

 

「これをやれ」と言われたことを愚直に守る、その義務をこなす人生をより強く深くしてしまいます。

 

 

 

なぜ愛情をもって自分に接してくれる里親と出会っても「これをやれ」と命令されることになるのか、北斗は義務をこなすだけの人生を変えることができるのか?

 

 

タイトルに回心と付いてるんだから変えられるんですよ北斗は、だから理由が重要なんです。

 

 

回心の意味思い出してください。

 

 

  • 苦痛を伴う
  • 内面を省みる

 

 

そして自分の力だけでは達成できない場合が多いです。

 

 

どんな出来事をきっかけに北斗は義務から開放されて、どう考えることができるようになるのか?それがこの物語のポイントです。

 

 

ほぼ答え書いちゃってますけどね。

 

 

僕は個人的には里親と出会ったことによってより義務が強くなるという点に虐待の持っている負の連鎖を感じずにいられなかった。

 

 

簡単には回復しないんです、心は。

 

 

社会の中で生きている人にとっての義務は法律などの規範を守ることであり、すべての人に課せられているものの義務を負い守ることで人とのつながりを確保します。

 

 

それが感情の共有を産み、より人生を豊かにしてくれるものですが被虐待者にとっては義務を守ることで普通の人が得られるはずの人とのつながりという楽しみを得ることができない。

 

 

自分に課せられた”義務による頑張り”だけを求められる孤独さは普通に生きている人からは想像を絶しますが、それ以外の世界があると知ってもすぐにその世界に移動できない悲しさは僕達には到底理解できるものではありません。

 

 

被虐待者は言われたこと”だけ”を忠実に実行してしまうことがあるそうです。

 

 

例えば、被虐待者が社会人になると上司に命令された内容だけをひたすら繰り返します。

 

 

その結果、命令されたこと以外なにもできない・やろうともしない被虐待者を周囲の同僚や上司は命令されたこと以外できない使えないやつと認識しますが、本人は言われたことを実行する”義務”を忠実に守っているので、なぜ自分が非難されるのかまったく理解できないそうです。

 

 

ある意味、被虐待者に命令をひたすら守るんじゃなくて自分で考えて行動しろ!という叱責は非常に酷なことなのかもしれません。

 

 

彼らは自分で考えて行動する人生を送ったことがないかもしれないから。

 

 

彼らは目の前にある自分がこれをやらなくてはいけないという項目を順番にこなしていくだけの人生を送っている。

 

 

一つの義務が終わったら次の義務へ、その繰り返しの人生を送っている。

 

 

終わりがないから壊れるまで動き続けてしまうんだそうです。

 

 

北斗も同じような人生を送っているとするならば、普通の人が持っているのに彼だけが持っていないものって一体なんでしょう。

 

 

北斗自身は死刑を望んでいますし、被害者家族や、もしかしたら世間も彼を死刑にするべきだと考えてるかもしれません。

 

 

さきほども書きましたが、何をするべきかを考えることができるのは社会という土台を持っている人だけです。

 

 

北斗は死刑を望んでいますが、自分を死刑にする”べき”だと考えることができる人生を歩んでいません。

 

 

北斗には社会的な土台がありません。

 

 

それを得るためにはあることをしなくてはいけない、それが僕が考えるこのドラマの見どころです。

 

 

追記:予告編でばっちり答えバラされてる

 

 

今日WOWOWで放送されていた銭形警部のドラマを観ていたら「北斗」の予告編が放送されました。

 

 

その最後のシーンであのひとが思いっきり北斗がしなければいけないあることについて叫んでました

 

「◯◯◯ーーーー」と。

 

 

この言葉を使わずにこの文章書くの結構たいへんだったのに(泣)

 


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