月

 

タイトルの「みかづき」とは月の三日月のことです。

 

 

なぜこのようなタイトルがついているのかを含めて、みかづきとは何を示すのか,それが「みかづき」を読んでいくうちに徐々に判ってきます。

 

 

可能なかぎりネタバレをしないように書いているつもりですが、多少のネタバレはありますので未読の方はご注意ください。

 

 

みかづきの面白さの1つである文中の名言から、この本を僕なりにどう読むとより楽しめるのかを解説しました。

 

みかづき 森絵都 感想は星5つ

月12

 

 

さて最初に本を読んだ感想を述べておきます。

 

 

最高に面白い。

 

 

5点満点の星評価なら間違いなく星5つです。

 

 

ただし、時代背景が戦後から始まること、現代にまで続く物語でありながらも、話の冒頭は戦後教育の話題がでるため、戦後の教育事情など馴染みが無い世代の読者にとっては戦後の教育論に関する記述などには興味が持てず、読むのを止めてしまうかもしれませんが、そこを乗り切れば後は一気読みです。

 

 

この本は小説であり、教育論を語っている本ではありません。

 

 

物語の中心は塾を経営する”大島家”、吾郎・千明の夫婦とその娘、蕗子・蘭・菜々美、千明の母頼子、蕗子の子供一郎と杏という家族の話です。

 

 

月23

 

 

簡単にあらすじを紹介します。

 

 

 

戦前の軍国教育から敗戦によって急速に民主主義教育に舵を取った戦後の日本。

 

 

学校教育に絶望した千明は、天性の教育者である吾郎を誘い自らの理想とする教育を実現するために塾を開く。

 

 

彼らが目指すのは子供が「自分の力で考える力を身につける」ための教育。

 

 

しかし、塾という存在に世間が求める志望校へ入学するため”だけ”に必要な能力を身に着けさせて欲しいという要求との矛盾に千明と吾郎は葛藤する。

 

 

塾に入ることが珍しく陰口を叩かれ疎まれる時代から、塾へ入ることが当たり前となる競争社会、少子化、教育格差と時代が流れて行くことで、塾を始め学校教育に求められるものも刻一刻と変わっていく。

 

 

どうすれば子供が「自分の力で考える力を身につける」ことができるのか?そもそも「教育」はそれを実現できるのか?塾の経営、家族との関係、塾の天敵である文部省、戦後の復興、高度経済成長、バブル崩壊、不況という時代の流れ、それらを通じて千明と吾郎を中心とした大島家は何を見つけるのか?

 

 

読み終わった後、タイトルの意味がわかりその疑問に答えが出る。

 

 

みかづきの面白さは数々の名言にある

月45

 

「みかづき」を読んで感動したという意見が多いようですが、その理由には心に刺さる名言の数々が本文中にあるからだと思います。

 

 

この本を読んだ書店員さんから名言を募集した企画を取次である日本出版販売さんのメディアで掲載したほど、この本には名言が多い。

 

 

 

この名言集を掲載したページには1〜3位、番外編として4つ、合計7つの名言が紹介されています。

 

 

3位には、この記事でも紹介した「自分の頭で考えろ」ということに関連した言葉ですが、1位2位ともに僕も納得の名言が選ばれていました。

 

 

とくに1位は当然これだよな、という1文ですが重大なネタバレを含んでいると個人的に感じるので、未読の方は読まずに本をよむことをオススメします。

 

 

 

僕が個人的に最もこの本で印象に残った言葉は、2位に選ばれていました。

 

 

「どんな子であれ、親がすべきは一つよ。人生は生きる価値があるってことを、自分の人生をもって教えるだけ」(153ページ)

 

 

この発言のどこに僕が惹かれたのかというと”自分の人生をもって”という部分です。

 

 

これって子育てにおいて重要な視点だよなと僕は思うんです。

 

 

子育て

 

 

子供を持つ親に共通する思いは「自分よりも幸せになってほしい」だと思います。

 

 

そのために親は子供に必要だと思われるものを与えていく。

 

 

でも、どうやって何が子供に必要なのかを判断するのでしょうか?

 

 

そもそも判断基準は子供にとって何が必要なのかではなく、自分が持っていないモノやコトを子供に与えようとしているのかもしれません。

 

 

それではうまくいかないんじゃないかな僕は考えます。

 

 

例えば、親である自分が英語は全然苦手で、海外に行ったときに不便な経験をしたり、仕事で英語が使えればもっと大きなビジネスにつながると感じることが多々あるとします。

 

 

英語が今後必要になりそうだと判断し、子供には同じ苦労をさせたくないから、小さなうちから英語を習わせる。

 

 

この場合の判断の根拠には、もしかしたら臨界期仮説なんかがあって、外国語の習得には3歳もしくは7歳までに英語を習わないとバイリンガルにはなれない(かもしれない)という理論を信じて子供に英語を習わせようと判断したのかもしれません。

 

 

科学的な根拠があるから小さなうちから英語を子供に習わせることが正しいと大人が判断下す、これ自体は何を信じるかは個人次第だから問題ではありませんが、子供に英語が必要だと思うなら、なぜ自分も英語を習得する努力をしないのかが問題だと僕は思うわけです。

 

 

英語ができなくて苦労したという父親・母親の話を聞いて子供が「そっか英語って必要なんだな」と思うでしょうか?

 

 

英語を勉強しろ!!勉強しろ!!というわりには親が英語を話すところを見たこともない子どもが本当に英語が必要だと思えるのか?僕には疑問です。

 

 

だからこそ、母語も話せないような小さな赤ちゃんに多言語を習得させることには一定の説得力を感じざるを得ない(親の言語能力に子供が疑問をもたない可能性がある)。

 

 

では、臨界期をすぎて自我がしっかりとしてくるような年齢の子供に英語を習得させることはできないのか?中学生や高校生、ましてや20歳を超えて成人した大学生に英語を学んで欲しい親はどうするべきなのか?

 

子育て

 

 

答えは先程もちょっと書きましたが、親がまず先に英語を習得する、もしくは習得する努力をする。

 

 

英語ができないとこんなに苦労すると子供に語るより、英語ができるとこんなに良いことがあるということをできれば態度でしめす。

 

 

子供は親の背中を見て育つという言葉があります。

 

 

英語で苦労している親の姿を子供に見せるよりは、英語で楽しそうに海外の人とコミュニケーションをしている姿や、ビジネスをしている姿を見せたほうが子供に英語の重要性を判ってもらえると思います。

 

 

自分にできなかったことを子供に託すなってことです。

 

 

自分にできて、やってみて必要だと思うことを子供に言葉だけでなく、態度で普段の生活の中で子供に示し続ける、それが

 

「どんな子であれ、親がすべきは一つよ。人生は生きる価値があるってことを、自分の人生をもって教えるだけ」

 

この発言の意味する所なんじゃないかな。

 

 

この視点で吾郎と千明の人生を見てみると、彼らの子供が何を感じるのかが興味深く読めると個人的には思います。

 

 

ゆとり教育の本当の目的とは

パズル

 

そしてもう一つ面白かったのがこれ

 

 

ゆとりと詰め込み。

 

 

日本の教育の歴史は常にこの2つの間をいったり来たりしながら、進んできたのかもしれません。

 

 

ゆとり教育は2000年台に行われたのが初めてではなく、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育方針です。

 

 

いつの時代にゆとり教育に関してかは僕には読み取れませんでしたが、本の中にゆとり教育の真の目的について書かれた箇所があるのですが、それは「詰め込み教育」の是正を目指した、思考力や経験などに重きを置くために学習時間を減らしてゆとりある学校にするというきれいな目的ではありません。

 

 

小説ですから真実かどうかはわかりませんが、G型L型大学の構想を見れば、完全なフィクションだといいきれないと思います。

 

 

G型L型大学は簡単にいえばグローバルに活躍する人材を育成するための大学と、地域経済の生産性を担う人材を育成する大学に完全に2分するという構想です。

 

G型L型大学構想に関するPDF

 

この案が「みかづき」に書かれているゆとり教育の真の目的に合致するかどうかは個人の判断によりますが、文部科学省が2014年10月に開いた有識者会議で実際にこのような提言がされていることは事実です。

 

 

ゆとり世代は2000年代の若者達だけの話ではないこと、2000年のゆとり教育を経て今後はどのような教育を国が実施するのか、本に書かれていることは決して「フィクションだろ」と言い切れない部分もあるんじゃないかな〜と思う。

 


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