名前探しの放課後

 

 

辻村深月さんの作品に関する記事を書く時必ず書いている気がしますが、今回もこの注意から。

 

 

「僕のメジャースプーン」を読んでから「名前探しの放課後」を読むことを強く強くおすすめします。

 

 

理由は簡単、そのほうが面白いから。

 

 

最も大きなトリックというか謎に関して「僕のメジャースプーン」を読んでるのか・いないのか!で解釈がまったく異なる可能性が非常に高いです。

 

 

名前探しの放課後を僕のメジャースプーン後に読む理由に関しては重大なネタバレをせずに解説できないため、記事の最後に書いておきます。

 

 

 

名前探しの放課後の感想

名前探しの放課後2

 

 

最初にぼくなりにこの作品を評価すると、個人的には神小説です。

 

 

青春小説とミステリーの融合、アット驚く結末などエンタメとして非常に楽しむことが出来ました。

 

 

しかし、その楽しみは過去の辻村作品、特に「ぼくのメジャースプーン」を読んでいないと半減する可能性が高いので、この小説単体では評価しづらいと言わざるをえません。

 

 

他の作品との繋がりについては後述しますが、まずはこの作品を読んでぼくなりに率直に感じたことを先に書いておきます。

 

 

 

 

もしあなたが誰かに「自分は数カ月先の未来からタイムスリップしてきた」と告げられたとします。

 

 

その言葉を信じますか?

 

 

信じませんよね、多分。

 

 

僕も信じません。

 

 

さらに、その誰かは「これから数カ月後にあなたの大事な人がいなくなる」と言ってきたら信じますか?

 

 

信じませんよね、多分。

 

 

未来から来たという設定もしくは前提があまりにも突拍子すぎて、本当に大切な人がいなくなるという重大すぎる問題について何か考える前に、話そのものを拒絶してしまうからです。

 

 

 

この物語は突拍子もない話(と自分には感じる話)を聞いた時にどのような態度でその話を聞くべきなのかについて教えてくれます。

 

 

たとえば最初にあげた話題でいえば、未来から来たという前提を信じるか信じないかの問題よりも「あなたの”大事な人がいなくなる”としたらどうするべきか」という問題のほうがはるかに大事です。

 

 

嘘かもしれないけど、もし本当だったとして大事な人がいなくなる時に受ける悲しみに比べたら、結局いなくならなくて嘘をつかれたとしてもどちらがマシかといえば、嘘だったほうがあなたにとっては良い結果といえますよね。

 

 

それに、もし本当にいなくなってしまったとしてもそのための準備ができていれば、悲しみや後悔が少なくなるかもしれません。

 

 

これ、この本における「オオカミ少年」という章で書かれていることです。

 

 

おおかみ

 

 

有名なイソップ童話にオオカミが来た!!といつも嘘をついていた少年の話がでてきます。

 

 

この童話の結末は知っての通り、本当にオオカミが出たのに少年はいつも嘘をついているので誰も少年の言うことを信じず、村の羊がすべて食べられてしまうという物語。

 

 

この童話の教訓は「嘘をつくな」ではなく「何事にも備えが必要だ」です。

 

 

某国が日本にミサイルを打つ準備をしているとします。

 

 

重要なのはミサイルを打たれた場合に誰がどうやって対処するのかについての準備であり、ミサイルを打つのか打たないのかを議論することではありません。

 

 

 

沖縄でアメリカ軍のヘリコプターが海岸に不時着した問題が最近起きました。

 

 

その海岸から数百メートル先には住宅があり、もしかしたら大惨事になっていたかもしれない→基地があるからこういうリスクが増えるという見方も正しいでしょう。

 

 

しかし、住宅に墜落させないために海岸に不時着させた可能性を考えれば、より緊急的な回避法であり自分体の命を危険に晒すことも厭わず、被害を大きくしないために海岸を選んだのかもしれません。

 

 

さらになぜ不時着したのかを考えてみると、より高度な訓練が必要であり、それだけ朝鮮半島の緊張が増しているため実践的な訓練が必要になったのかもしれません。

 

 

どちらが正しいかは僕にはわかりませんが、どちらのリスク(もちろん上記以外のリスクもあります)もあるという前提の上でヘリが海岸に不時着したという情報を自分なりに解釈するとしたら、基地を移転させるべきかの問題よりも、他の国から攻撃をされるかもしれないリスクのほうが直近の問題として検討すべきことなのかもしれません。

 

見る

 

 

僕たちは自分にとって都合の良い話しか受け入れないし、見たい世界しか見ようとしません。

 

 

誰かと話をしていても自分にとって都合の悪い話、自分は信じたくない話の場合、話を聞いているふりをしていても右から左に受け流します。

 

 

もしくは「でも・・・」と反論します。

 

 

反論するなということではなく、誰かの話を聞いたとき、何かの情報に触れた時、その話や情報のもつ可能性を最初から排除せずに検討する必要があるのではないか!ということです。

 

 

とはいえ、すべての情報や意見をいちいち検討していたら時間がいくら合っても足りない。

 

 

だから僕達にはなんとなくこっちのほうが正しいという判断を自動的に処理することで、膨大な情報の選択肢を検討しなくても立ち止まらずに済むように脳が処理をしてくれています。

 

 

そして、その処理はだいたいの場合うまく行きます(カーネマン「ファストスロー」参照)

 

 

僕たちの脳は膨大な情報を日々受け取っていますが、その一つ一つの意味や判断の処理を効率よく行うため、思考をある程度パターン化し、何かにつけてパターンにはめ込もうとします。

 

 

だからこそ、検討し深掘りするべき情報や意見、情勢などを見極める必要があります。

 

 

そのためには「オオカミ少年」の話を聞いても嘘だと決めつけない心構えが必要なのかもしれません。

 

 

そんなことを考えさせられた「名前探しの放課後」でした。

 

 

 

 

名前探しの放課後あらすじ

 

名前探しの放課後

 

ここからはあらすじを紹介しつつ、この小説で描かれる謎・トリック(以下ミステリー要素)について紹介します。

 

「今から、俺たちの学年の生徒が一人、死ぬ。―自殺、するんだ」「誰が、自殺なんて」「それが―きちんと覚えてないんだ。自殺の詳細」不可思議なタイムスリップで三ヵ月先から戻された依田いつかは、これから起こる“誰か”の自殺を止めるため、同級生の坂崎あすならと“放課後の名前探し”をはじめる
「BOOK」データベースより

 

誰が自殺をするのか、それだけがこの本におけるミステリー要素ではありません。

 

 

僕は3つのミステリー要素があると思っています。

 

 

1つは、最も大きな問題である、誰が自殺をするのか

 

 

2つ目は、なぜ主人公の一人「依田いつか」がタイムスリップしてしまったのか。

 

 

「いつか」は自殺した人物と接点がなかったという記憶だけはあります。

 

 

自分が自殺した人物と会話もしたこともないほど何の接点もなかったことを覚えている「いつか」には、なぜ自分がタイムスリップをしたのか理由がわかりません。

 

 

自分が仲の良い友人が自殺するならば、それを止めたくてタイムスリップしたのかもしれない、また自殺した人物が後悔して、自殺を止めてほしくて「いつか」を呼んだのかもしれませんが、その場合自分と接点がまったくない「いつか」を過去に呼び戻すのは不自然です。

 

 

 

なぜ過去に戻るのが「いつか」でなければならないのか?

 

 

この要素がこの小説が青春ミステリーと呼ばれる所以なのかなと僕は思います。

 

 

誰もが一度は考えたことあるんじゃないかな?「あの時に戻れたらなぁ〜」って。

 

 

もしこの願いが叶うとしたら小学校から大学のうちのどこか、学生時代に戻りたいという人が多いのではないでしょうか?

 

 

3つ目のミステリー要素は「いつか」と「坂崎あすな」がこの事件が起きなければ向き合わなかったであろう過去に捨ててきた「トラウマ」です。

 

 

いつかとあすなが同級生の誰かの自殺を止めるために取る行動によって、二人は今まで決して向き合わなかった2人がそれぞれに抱える過去の葛藤と向き合います。

 

 

それは、ものすごく大きな問題ではないけれど、誰もが同じような問題にぶつかり悩み、しかしそれを克服すること無くなんとなく時間が過ぎて大人になってしまうような問題です。

 

 

そんな青春時代特有だけど、実は克服すれば大きな達成感が得られる問題が描かれている。

 

 

そして、その葛藤を同級生と力を合わせて克服していく。

 

 

その克服過程は青春小説そのものです。

 

 

同級生がクリスマスイブの日に自殺するという悲惨で悲しい事件と青春小説そのものである自分のトラウマを克服するドラマ性、この2つが魅力の小説です。

 

 

 

最後に感の良い人はこれだけでこの小説の謎が解けてしまうかもしれませんので以下はネタバレ注意のため改行してから書きますが

 

 

 

 

 

辻村深月さんといえば

 

 

 

 

 

 

最後にどんでん返し!!ですよね。

 

 

 

【ネタバレ】僕のメジャースプーンとの関連性

 

 

以下の文章には結末に関する重大なネタバレが含まれています。

 

 

結末を知りたくない方はここで記事を閉じてください。

 

 

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では、名前探しの放課後を僕のメジャースプーン後に読む理由を説明します。

 

 

名前探しの放課後ワープ

 

 

 

 

理由は「ぼくのメジャースプーン」を読んでいないと、なぜ「いつか」がタイムスリップしたのかについての解釈がうまく出来ないからです。

 

 

 

読んでいないくても、この作品は面白いです。

 

 

 

別にいつかがなぜタイムスリップしたかどうか、そもそもタイムスリップなんて本当にしたのかどうか?がわからなくても十分に物語は完結します。

 

 

 

完結するのですが、多分ここら辺りが理解できないはずで、読み終わったあとググると思います笑

 

 

 

「最後に力を使ってから6年以上。この感覚をすっかり忘れていた」という最後の秀人の独白から、秀人にはなんらかの”能力”がある。

 

 

その秀人「師匠」の存在、その後に明かされる椿のフルネームである「椿史緒」、秀人が椿を「ふみ」と呼んでいることがなぜ最後の最後に明かされるのか。

 

 

 

これらはすべて「ぼくのメジャースプーン」を読んでいないと理解することができません。

 

 

 

秀人がどんな能力を持っているのかは名前探しの放課後では一切描かれていないからです。

 

 

 

名前探しの放課後能力

 

 

 

「ぼくのメジャースプーン」を読んでいないくて、名前探しの放課後をまだ読んでいない人、もしくは読んだけどいまいち結末がよくわからなかった人のためにあらためて「ぼくのメジャースプーン」(もっといえば子どもたちは夜と遊ぶ)に出てくる能力を簡単に紹介します。

 

 

 

 

秀人は「言葉」によって相手の行動を操作できる。

 

 

 

「Aということをしろ、できなければBという罰を与える」と命令することでその人の潜在意識に訴えかけることができます。

 

 

 

その言葉を書けられた人はBの罰を恐れ、Aを実行してしまう可能性が非常に高い。

 

 

 

この言葉は無意識に働きかけるので言われた人物は言葉による命令を受けた記憶はない。

 

 

 

秀人はいつかにこの能力をつかってある命令をする。

 

 

 

命令した内容はエピローグにしっかりと描かれているが、この言葉が無意識に人の思考を縛り、できなけば本当にその罰が与えられる能力であることがわかっていないと、なぜそんな言葉だけでいつかは必死になって3ヶ月間まったく会話をしたことのない同級生の自殺を止めようと行動したのかがわからないはずなんです。

 

 

 

ぼくのメジャースプーンを読んだ人は、このネタバレだけでタイムスリップの謎が解けるかもしれないのでタイムスリップについては書いておきます。

 

 

 

僕の解釈ではいつかはタイムスリップしていない

 

 

タイムスリップなんてSF的な現象が起こることが前提となっているなんてあまりにも小説的だということではなく、もっと小説的だけどタイムスリップよりは実際にデキる人がいるように思える秀人の「言葉によって人の行動を縛る能力」がこの作品における物語のスタートとなっています。

 

 

秀人がいつかにかけた言葉による強制の中に3ヶ月後というワードが含まれているので、いつかは三ヶ月後の未来から来たと思考(もしくは記憶)を捻じ曲げてしまったというのがタイムスリップの真相。

 

 

本文中で言及される少しずついつかの3ヶ月後の記憶と現実がずれている理由はタイムスリップなどしていないから。

 

 

だから本当は誰も自殺なんてしないのかもしれない。

 

 

でも、いつかは自殺が起こるかもしれないと思って行動している。

 

 

 

そういう言葉による思考操作を秀人がいつかにしたから。

 

 

 

どんな言葉で強制したのかはここには書きません。

 

 

 

この物語は多くの会話が二重の意味をもっているので、秀人がいつかにかけた言葉による強制がどんな言葉だったのかだけでなく、あの人と登場人物がする会話の多くに別の意味が込められているので読み返してみると面白い作品です。

 

 

最後にこの作品をより楽しむためにどのような順番でこの本をよむべきかを書いておきます。

 

辻村深月作品おすすめ順

 

 

  1. 子どもたちは夜と遊ぶ
  2. ぼくのメジャースプーン
  3. 凍りのくじら
  4. 『名前探しの放課後』

 

 

名前探しの放課後に限定すれば読んでおくべき作品はぼくのメジャースプーンだが、ぼくのメジャースプーンを楽しむためには子どもたちは〜を読んでおいたほうが・・・という感じなので上から順に読んでおいたほうが名前探しの放課後を読んだあとのほうが作品の関連をより実感できる。

 

 

あとは「スロウハイツの神様」も読んでおくと、ある1行に”にやっと”する場面があるかな。

 

 

名前探しの放課後に出てくる人物が他のどの作品にでてくるのかを書いておくと

 

 

 

秀人:ぼくのメジャースプーンの「ぼく」
椿:ぼくのメジャースプーンの「ふみちゃん」「凍りのくじら」
天木:ぼくのメジャースプーンの「タカシ」

 

 

松永郁也、芹沢光(理帆子) 多恵は「凍りのくじら」

 

クリスマスパーティで郁也の関係者として出席した写真を撮っている髪の長い美人と老婦人が理帆子と多恵。

 

 

秀人の師匠:秋山先生「ぼくのメジャースプーン」「子どもたちは夜と遊ぶ」

 

 

チヨダコーキ:スロウハイツの神様