殺人鬼フジコの衝動 感想

 

グロく・胸糞な展開が続き、虐待やいじめ、性的描写も多く、影響を受けやすい方・中高生が読む場合には注意が必要な可能性もあり、全く面白くなかったというマイナス評価も多くある作品です。

 

 

途中会話文なのに「」がないなどやや読みにくい点もありますが、結論に至るまでの仮定やグロいけど読ませる筆力もあり個人的には楽しめた作品。

 

 

 

救いのない結末として有名な作品のようですが、個人的には非常にわかりやすい伏線が貼られているので「もしかして結末は・・・」と予想しながらサラッと一気読みに近い感じで読み切りましたし、結末に不満もありません。

 

 

 

あくまでもフジコの殺人への衝動はあくまでも小説の中の架空の話ですが、現実で起らないとは決して言えない話でもあるかなと思う点があり、その点を少し深ぼって見たいと思います。

殺人鬼フジコの衝動 感想ネタバレややあり

殺人鬼フジコ感想

 

若干のネタバレを含む感想になっているので、未読の方は注意してください。

 

 

最終的なトリックや結末には触れないつもりですが、なんとなく想像がついてしまうかもしれない感想となっています。

 

 

 

この本を読んでいて何度も出てくるセリフが「おかあさんのようになりたくない」

 

 

 

これは小説内で母親から虐待を受けた子どもが言うセリフです。

 

 

 

特に、フジコは母親そっくりの人生を歩んでしまっていることを叔母が常に忠告しています。

 

 

 

虐待を受けて育ったのに自分の子どもを虐待してしまう。

 

 

 

果たしてこれは小説の中だけの出来事なんでしょうか?よくドラマなんかでも出てきますよね、こういう設定。

 

 

虐待されて育った子どもは親になったら子どもに虐待をするのではないかと悩む、犯罪者の子どもは犯罪者になる確立が高いなどは耳にしたことありますよね。

 

 

でもこれ現実に起こる可能性はないとは言えないことが科学的に判ってきつつあるのが怖いところなんです。

 

 

最近の研究で残忍な犯罪を犯した人の中には、何が道徳的なのか何がそうではないのかを頭では理解できていても、何が道徳的かを感じることはできない人が居ることが判っています。

 

 

欲望をコントロールするために中心的な機能である扁桃体や前頭前皮質に欠陥があると、不道徳な行為に走らないように歯止めを効かせることができない。

 

 

要因は様々なものが挙げられるし、脳に欠陥がある人がかならず犯罪を犯すわけでもないですが脳の欠陥が反社会的、暴力的な行動に結びつくのは疑う余地がない。

 

 

では何が扁桃体や前頭前皮質など脳の各部位に欠陥をもたらすのか?

 

 

 

傾向としてあくまでも現時点で分かっていることの1つとして、サイコパスによく見られるのが母親やその代理となる人物から養育を受けられない経験があるそうです。

 

 

幼少期に一貫して親密な関係を維持できるかどうかが重要で、不足すると適切な社会関係の基盤を築けない可能性がある。

 

 

 

妊娠中の喫煙やアルコール摂取の悪影響も無視できない。

 

 

 

さらに深刻な影響を子どもに与える可能性が高いのは、成長期の子どもの栄養不良による攻撃的行動の増加。

 

 

 

 

栄養の話と聞くとアフリカのような発展途上国の話であり、日本やアメリカ・ヨーロッパなどの先進国には当てはまらないと思いがちだが、成長期に十分な栄養素を摂取しているかどうか、炭水化物・脂肪・タンパク質の3大栄養素とビタミンや鉄分などのミクロ栄養素のバランスを考慮すれば先進国だから関係のない話とはならない。

 

 

 

参照:暴力の解剖学(エイドリアン・レイン著)

 

 

栄養素

 

 

 

 

小説でも子どもたちの給食費も払えないほど生活に困窮していたという描写がある。

 

 

フジコは親に虐待をうけ、栄養も不足しており、サイコパスとして育つ環境にあったことが十分に推測できる。

 

 

彼女が殺人鬼になる素養はあった。

 

 

虐待が産む悲しい連鎖

連鎖

 

 

ではフジコのような虐待を受けた子どもをが成長し子どもを産んだら、産まれる子どもにも虐待をしてしまうのだろうか?

 

 

小説の中ではフジコは自分の子供達を虐待している。

 

 

フジコ自身も母から虐待を受け、自分は母のようにはならないと呪文のように繰り返し、母とは違う人生を送るためだけに生きてきたと言っても過言ではないにも関わらず。

 

 

なぜこのようなことが起こるのか?

 

 

もちろん答えはわからないが、1つのヒントとして虐待を受けた人の治療を通して得た虐待で受けた傷の回復と虐待を受けた人の実態について書かれた本(「消えたい」高橋和巳著)に参考になりそうな事例がある。

 

 

被虐待者は人から愛されたい気持ちと、人を愛したい気持ちの両方にブレーキをかけるそうです。

 

 

本にかかれているある女性のケースは、温かい家庭がずっと欲しかったから一生懸命子育てしたのに、ある日イライラが頂点に達していきなりこどもを「いらない」と施設に”捨て”にきた女性の話。

 

 

母親の愛情を期待しながら与えられなかった被虐待者は、次第に愛情を拒否するようになり、無意識のうちに愛情を向けられることも拒否するようになる。

 

 

その結果が子どもが近づいていくると”怖い”と感じるようになるそうです。

 

 

しかし、子供との触れ合いを通じて、自分が体験することができなかった子ども時代を取り戻し時間を逆転させることができる人もいます。

 

 

フジコが子どもを虐待することは現実的にありえない話ではなく、むしろその可能性は高いとさえいえるかもしれない。

 

 

では、フジコに虐待されて育った子どもたちはどのような人生を送るのか?実はこの部分がこの小説のキモであり最もよく描くことが出来ている部分であり、それは現実を無視したあくまでも小説の中の架空の話ではないんだろうなと納得できる内容になっています。

 

 

そして注目すべき点がもう一つあります。

 

 

被虐待者の中には自分が虐待を受けていたことを理解できておらず、自分が被虐待者だと判っていない人もいるそうです。

 

 

もしかするとフジコもこのケースに当てはまるかもしれません。

 

 

 

また被虐待者の中には小さい頃は必死に親を好きになろうとしたのに、中学生ぐらいになるとひたすら嫌いになろうとした女性のケースも「消えたい」という本には掲載されています。

 

 

フジコもこのパターンに近いものがあり、常に母親のような人生は送らないと心に誓います。

 

 

フジコが母のようにならないと心の中でつぶやくのは、きまって叔母にある忠告をされたときなんですよね。

 

 

 

この叔母のフジコへの忠告が僕は最も悪意ある言葉だと思っています。

 

 

フジコに虐待を受けていた事実を思い出させ、母を嫌うようにフジコを仕向けているように僕は感じました。

 

 

叔母とフジコのやり取りにも是非注目して読んでもらえたらなと思います。

 

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殺人鬼フジコの衝動 あとがきは絶対に最初に読むな

 

 

殺人鬼フジコの衝動は「はしがき」と「あとがき」が巻頭と巻末に存在します。

 

 

このはしがきとあとがきは一種の独白のようになっていて「はしがき」と「あとがき」はこの小説を書き上げたのは別の人物であるという設定になっています。

 

 

殺人鬼フジコの衝動を読む際に絶対に気をつかなければならないことが一つだけあります。

 

 

それは

 

 

 

あとがきは絶対に本文を読んだあとに読むこと。

 

 

つまりあとがきにトリックのすべてが書いてあると言っても過言ではありません。

 

 

あとがきまで入れて1つの本編という構成だからです。

 

 

 

はしがきとあとがきは著者である真梨幸子さんが書いた本体とは独立したパートとしての読み物ではありません

 

 

 

特にあとがきの最後の最後の頁は絶対に先に読んではいけません。

 

 

ということはですよ、文庫分で殺人鬼フジコの衝動を読む方に向けての注意ですが

 

 

文庫本を読む時に巻末にある解説から読むのが好きな方もいらっしゃると思います。

 

 

 

しかし、殺人鬼フジコの衝動の場合解説からよむことはオススメしません。

 

 

 

解説にネタバレがあるということではなく、解説を開こうとして巻末を開いたときに「あとがき」がちらっと見えて重大なネタバレになる可能性があるからです。

 

 

 

この小説は「はしがき」→「本編」→「あとがき」という感じで必ず巻頭から読みはじめてください。

 

 

面白さが半減どころか読む価値すら失います。

 

 


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