「人道にもとる」という言葉に注目したのは、もちろんこの事件がきっかけ。ある二人の女優が「演出家から人道にもとる数々の行為を受けた」と所属事務所説明し舞台を降板した件です。

 

 

この記事はどちらが正しいのか、演出家からうけた「人道にもとる」行為とは具体的に何かということについては一切ふれません

 

 

あくまでも「人道にもとる」という言葉の意味についての記事となります。

 

 

人道にもとるの意味とは

 

まずはしっかりと「人道」「悖る」を辞書で調べます。

 

 

まずは人道から。

 

 

 

人道とは”人間として従い行うべき道”と辞書には書かれています

 

 

 

悖るは”正しい在り方に反する”

 

 

 

Weblioで調べると

 

 

悖るは”ゆがむ。ねじれる。また,ゆがませる。ねじる”という意味もあるようです。

 

 

 

悖るの前に付く言葉としては人道のような「原則(道理とか長幼の序など)」を表す言葉と共に使う言葉であり、意味は「規範や原則に反すること」

 

 

人道の場合は、人として正しい行いから反することなります。

 

 

図書館に行って語源辞典や百科事典、広辞苑などでも「悖る」「人道」を調べてみましたが、付け加えるべき情報はありませんでした。

 

 

どの辞書にも「人が従うべき規範や考え方などに反する行為」と書かれていました。

 

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おまけ:幼気(いたいけ)由来

 

 

幼気:おさなくてかわいらしいさまですが、由来には諸説あります。

 

 

最も有力なのは

 

 

傷気イタキケ の音便説。

 

随筆『嬉遊笑覧』にこのような文章があります。

 

 

「いたいけは痛気なるべし。いとおしむ意の深きをいふなり」

 

 

かわいらしさが痛しというほど強く心に感じられる様子であることから生まれた言葉なのではないかということだそうです。

 

 

イタイタシ(痛々しい)から説やイトオシキ(愛しき)からなど諸説あります。

 

 

しょっちゅう 由来

 

終始、絶えず常にという意味で使われる「しょっちゅう」

 

 

最も有力な説は

 

 

初中の変化した言葉。

 

 

初中とは、初中後(物事のはじめと中ごろと終わりの3段階特に中世の芸道文芸道などで初心から堪能に至るまでを示す)の下略です。

 


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