君の膵臓を食べたいの内容を簡潔に

君の膵臓を食べたい

 

 

「君の膵臓を食べたい」の小説のネタバレなしのあらすじ、若干のネタバレありの感想内容の紹介になります。

 

 

このレビューでは個人的に最もこの小説で楽しかった点にフォーカスして記事を書いています。

 

 

そのため細かい伏線(たとえば「星の王子さま」と本作との関係や、タイトル「君の膵臓をたべたい」の意味とか、ヒロインの死因とかです)には触れていませんので、そのあたりの解説が読みたい方は別の記事をお探しください。

 

君の膵臓を食べたい あらすじ ネタバレ無し

 

 

ウィキペディアに思いっきりあらすじが載っているのでそれ読めば事足りるんですが、僕なりにこの小説のあらすじをまとめると、こうなります。

 

 

 

 

人に興味がない”僕”は友達が一人もおらず、学校では本を読んで過ごし、誰とも会話もせず、静かな学校生活を送っていた。

 

 

偶然手にとってしまった”僕”の高校のクラスメイト桜良が書いた「共病日記」によって、”僕”は桜良が余命わずかである事実を知る。

 

 

「共病日記」を読んで、”偶然”桜良と知り合った”僕”は、桜良と行動をともにすることになるのだが、なぜ人に興味がないはずの”僕”が桜良とだけは一緒にいることができるのだろうか?桜良がもうすぐ死ぬから?それとも別の理由があるのか??

 

 

桜良はなぜ”僕”と残り少ない貴重な残された時間を一緒に過ごすのか?

 

 

家族以外は誰も知らない自分の病気を知っている”僕”と一緒にいるのは自分を偽らなくてよいという理由だけではない桜良の本当の気持ちとはなにか。

 

 

人が何かを始めるために必要なことは決して運命や偶然じゃない。

 

 

人生において本当に一番大切なものはなにか?答えはもちろんひとつではないが「そのうちの一つ」ではないかと思わせてくれる大切なことを教えてくれる物語。

 

 

 

 

君の膵臓を食べたい 内容 を簡潔にまとめると

 

 

 

 

あらすじはさきほど紹介しましたが、今度はそのあらすじと個人的にもっとも気になった点(気に入っている点)を深掘りします。

 

 

ここから先は物語の核心にはふれませんが、多少のネタバレを含みます

 

 

 

 

 

君の膵臓を食べたい 出会い

 

 

 

 

 

この小説の面白い点は2つあります。

 

 

 

 

 

 

 

日常生活を送っているといろいろな事に出会いますよね。

 

 

 

 

人との出会いだけでなくモノとの出会いも含めると僕たちの毎日は様々な出会いの連続です。

 

 

 

 

その中で特別な関係になる出会いがあります。

 

 

 

人だったら友人となる人との出会いや、恋人との出会い、恩師や、上司、部下などなど。

 

 

モノだったら趣味とか、大好きな景色とか、感動する瞬間など感情が動かされる出会いなどがあります。

 

 

 

その特別な瞬間をあなたは運命だとか偶然だと思いますか?

 

 

 

恋人との出会いは運命や偶然ですか?
(運命という言葉には最初からそうなることが決まっていたこと、自分で切り開いたこと、とうい2つの運命の捉え方ありますが、今話しているのは前者の運命についてです)

 

 

 

 

たとえ特別な人とのであいであっても出会いは偶然であり必然であると考えることは少ないのではないでしょうか?

 

 

 

誰かや何かとの出会いを心の底から自分が選んだ結果そうなったと心の底から思えますか?

 

 

 

思えないのならばこの本を読むと「選択」することの大切さ、僕たちが日々選んだ行動の結果が何かにつながることの大切さが学べるかもしれません。

 

 

君の膵臓を食べたい 違い

 

 

もう一つは、

 

 

人は「違い」に反応する生き物だということ。

 

 

 

 

僕たち人間は一人一人それぞれに個性があり、その個性は一人一人違います。

 

 

違いがあるからこそ、僕たちは自分と他人を比べることによって他人が魅力的に見えたり、また逆に自分の魅力を発見することが可能になります。

 

 

 

常に社会という自分以外の人間がいる世界で生きている限り、僕たちは社会の中で自分という人間がどうあるべきかを問い続けなければいけません。

 

 

問い続けるとは、誰かとのつながりを持ち続けると言い換えることができます。

 

 

親や兄弟のような肉親との関係だけではなく、友人でも知人でも、近所のおっさんやおばさんでも誰でもいい。

 

 

誰かとつながっていないと自分という人間がどんな人間なのかわからないからです。

 

 

 

自分がどんな人間なのかを僕たちは他人の目を通してしか知ることができません。

 

 

 

自分の中では自分はこういう人間だと思い込んでいたとしても、他人からみたらまったく別の人間に見えるという経験は誰にでもあることです。

 

 

他人からどう言われようが自分はこういう人間だ!!と思い込むことも誰にでもあることでしょう。

 

 

しかし、「自分の中の自分」と「社会の中の自分(他人から見た自分)」の違いに気が付き、少しずつ調整していくことによって「自分の中の自分」と「社会の中の自分」のギャップを埋めるという経験をしたことのある人もたくさんいるはずです。

 

 

本当になりたかった自分の姿というのは、実は誰かや何かによって気づかされることのほうが多い。

 

 

 

そんな大切なことを学べる点が僕はこの小説を気に入っている点です。

 

 

 

それを最もよく表しているのが”僕”の名前が最後までわからない点。

 

 

小説内で僕は「【地味なクラスメイト】」と表現されたり、【仲良しくん】とか【噂されているクラスメイトくん】とかいろいろな呼び名で呼ばれます。

 

 

でも、ずっとそう呼ばれ続けるのは不自然ですよね。

 

 

クラスメイトがあだ名というか名前を呼ばないことはあるかもしれませんし、桜良には彼の名前を呼ばない理由がちゃんとあります。

 

 

しかし、先生が彼を「大人しい生徒」くんと呼ぶのはありえません。

 

 

絶対はありませんが、普通は名前で呼ぶはずです。

 

 

つまりこの”僕”の呼び名は”僕”の中で多分他人はこう思っているはずだという思い込みです。

 

 

本当は名字とかで呼ばれているかもしれないのに、”僕”は他人から見たら「○○なやつ」にしか見えないはずだと思い込んでいる。

 

 

 

その理由は彼が友達が誰もいないから。

 

 

誰とも話をしたことがないから。

 

 

みんな彼のことを【地味なクラスメイト】なんて思ってないかもしれないのに勝手に思い込んで壁を作っている。

 

 

こういう経験ってあなたにもありませんか?

 

 

その壁の壊し方、この本に書いてあるかもしれません。

 

 

 

あらすじに書いたなぜ”僕”は桜良と仲良くするのかについても、この他人との違いが大きく関係しています。

 

 

それは本文にこう書かれています。

 

 

僕と彼女の接点は同じクラスにいることと、僕の耳に飛び込んでくる騒がしい彼女の笑い声だけだった。中略〜人に興味のない僕でも、〜略、すぐに彼女の名前が浮かんだぐらいだ。それもきっと反対の人だから、頭のどこかに引っかかっていたのだろう。

 

 

反対。

 

 

これもこの小説における大事なキーワードです。

 

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君の膵臓を食べたい 内容は映画で補完

 

 

 

最後に結構なネタバレしますので、注意して読んでくだい。

 

 

その謎とはエピローグの最後の部分にでてくるあの話題です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいですか書きますよ。

 

 

 

 

 

 

 

恭子さんのことが好きな「彼」って誰なのか?という話ですが、

 

 

 

これ小説の中だけで答えみつけるのは多分無理です。

 

 

 

映画で追加された12年後の世界を見ればすぐに答えがわかります。

 

 

 

 

そうなんですよ。

 

 

 

映画では小栗旬さんが演じる主人公の12年後に、恭子さんも登場するわけですね。

 

 

 

原作とはまた少し違う解釈というか展開を加えて、さらにファンにとっては多いに楽しめる原作の登場人物のその後が描かれているですね。

 

 

 

原作のある作品が映像化されると大抵は世界観を壊すと評価されることが多い中で、「君の膵臓を食べたい」は映画も大いに評価されている作品です。

 

 

個人的には小説と映画はセットとまで言ってよいほど補完関係のある作品となっていると思います。

 

 

 

最後の最後でなんですが

 

 

 

映画よりも原作の小説から先に読むことを強く強くおすすめします。

 

 

君の膵臓を食べたい映画感想

 

映画と小説の違いについてと映画の見所を紹介するのですが、どうしても小説の中身に関しての言及が必要なのでネタバレ全開になりますので改行後の内容には注意してください

 

 

 

 

 

 

 

書きますね

 

 

 

 

 

 

映画版では”僕”(以降僕と表記します)と恭子と小説の最後にでてくる恭子に思いを寄せる”彼”の12年後が描かれています。

 

 

 

 

ここは完全に映画版オリジナルで、映画の最後で彼が誰なのかがわかるという小説の伏線を映画で回収(私は小説だけでは”彼”が誰なのかわかりませんでした)するという面白い内容になっています。

 

 

 

また共病日記という桜良が病気になってからかいている日記の中身が映画と小説では異なり、小説では日記の最後に書かれている遺書(僕と恭子にあてた最後の手紙)が映画では図書館の中に隠されているという謎解き要素が加えられています。

 

 

 

遺書を発見するのは12年後の僕なので、僕と恭子は小説のような関係で高校生活を終えていない設定が映画では採用されています。

 

 

 

映画では主人公の名前がすぐに明かされること、桜良の死まで先生や僕の両親など大人がまったく登場しないことなど小説と異なる設定がいくつかありますが、基本的に過去の僕と桜良の場面では原作に忠実に作られていて、小説にはなかった視点が映画の中で12年後の世界では描かれていて面白い。

 

 

細かな心情描写を映像でどのように表現するかなど小説→映画の順でみたほうがより「君の膵臓を食べたい」の世界観を楽しめると思います

 


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